南部富士、岩手山は見る角度によって表情が違う。
南側からみた岩手山は平面的で物静か。
だがそれはわたしが知っている岩手山ではない。
わたしが知っている岩手山は雄々しく、厳しい。
北東の焼走り側からみる他を寄せ付けないその姿こそ、
わたしを目に見えず圧倒し続けた存在そのものに他ならない。
わたしは登山のあいだ中、はっきりとその存在を感じ取っていた。
それは、あるいは神かも知れなかった。
そして私たちが登った正に翌日、岩手山で遭難事故が起きた。
その日仲の良い夫婦がこの地で永久の眠りについた。
聞くところに寄れば、彼らは初心者ではない。
ご主人は学生時代から登山とスキーに親しみ、ここ数年は夫婦で百名山登頂を目指していたという。
ザイルを持っていたほどであるから、装備も怠ってはいなかったのだろう。
そんな彼らに一体なにが起きたのか?
それは、岩手山のみぞ知る。